夜と霧 -著/ヴィクトル・エミール・フランクル 訳/旧版・霜山徳爾 新版・池田香代子

Contents

■アウシュヴィッツに囚われた心理学者の過酷な体験だけではない

 この『夜と霧』は、心理学者であるヴィクトル・エミール・フランクルがアウシュヴィッツにとらわれていたときの体験談だ。しかし、体験談だけではない。悲惨で過酷な状況であっても、人は人として生きていくことができることを証明している本でもある。

 人種を超えて、互いの人間としての尊厳を認め合うこと。
 今、世界で失いつつあるものを、この本では大切なこととして書いている。
 新板と旧版の違いはいくつかある。最初に言っておくけど、旧版と新版を、『夜と霧』の同じ版を新たに訳したのが新板だと思っているならそれは違う。ヴィクトル・エミール・フランクルが新版として加筆修正した版を訳したのが新版だ。以下、主な新板と旧版の違いを載せておく。
・旧版にあった「出版者の序」「解説」「写真図版」が新版にはない。
・新板には旧版の訳者の霜山徳爾さんが記した「『夜と霧』と私-旧版訳者のことば」がある。
・旧版になかった「ユダヤ人」の言葉が新板には2ヶ所入っている。
・旧版になかったエピソードが新板に1ヶ所追加されている。
 ちなみに新版は高校生でも読める文章で訳したというのを、新版訳者の池田香代子さんのブログで読んだ記憶がある。池田香代子さんには申し訳ないが、個人的には、旧版をおすすめする。
 ↓目次の下に続く

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■目次

〈旧版〉
出版者の序
解説
一 プロローグ
二 アウシュヴィッツ到着
三 死の蔭の谷にて
四 非常の世界に抗して
五 発疹チブスの中へ
六 運命と死のたわむれ
七 苦悩の冠
八 絶望との闘い
九 深き淵より
訳者あとがき
写真図版

〈新版〉
心理学者、強制収容所を体験する
第1段階 収容
第2段階 収容所生活
第3段階 収容所から解放されて
『夜と霧』と私-旧版訳者のことば(霜山徳爾)
訳者あとがき

■人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うこと

 私が旧版のほうが好きな理由は、旧版の訳者の霜山徳爾さんの文章に、ただならぬ熱意を感じるからだ。
 戦争がもたらす悲惨さや悲劇だけではなく、この『夜と霧』に込められた、人間への信頼や希望。これらが熱を持って伝わってくる。たしかに日本語はこなれていないし、最初は読みにくい。私は4分の1を過ぎたあたりから文章に慣れたので、最後までほとんど抵抗なく読んだ。

 後半は、生きることへのヒントや答え、示唆が含まれている文章が多い。
 このような体験をしていながらも、それでもなお人間として生きていけること、生きていくにはどうしたらよいのか。
 世の中が生きにくいと感じるのは、今も昔も変わらない。平安時代でも室町時代でも、大正、昭和、平成でも行きにくいと感じながら生きた人は数知れない。信じられないなら、古典を読めばすぐに明らかになる。

 この『夜と霧』でもっとも私の心に残ったのは、次の部分だ。
ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。
   『夜と霧』(旧版) 八 絶望との闘い p.183より引用

 自分の今の境遇、状態を、自分の外のせいにしない。つまり、生まれた環境だとか、育った環境だとか、時代、国、地域、教育、友人などに理由や期待や怒りをぶつけるのではない。
 「人生が何をわれわれから期待しているか」つまり、自分が人生からお前はどう生きるのか問われていると思い、考えて、自らの手で人生を切り開き、暗闇の向こうに見える消えそうなかすかな光に向かって進むこと。
 そのためには、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことだと言ってる。

 逆境の中、歴史的な発見をした人がいる。貧困の中、消し炭で壁に絵を描いていた画家がいる。これらはサミュエル・スマイルズの『自助論』に多くの例として載っているので、『夜と霧』の前でも後でも参考にしてほしい。

 『世界最強の商人』の巻物の第1巻には、

良い習慣はあらゆる成功の鍵である。悪い「習慣」は失敗に通じる鍵のかかっていないドアのようなものだ。
     『世界最強の商人』(角川文庫)p.89~p.90より引用

 とあるし、村上春樹の『ノルウェイの森』には、原文ママではないが、冒頭の直子との回想シーンで、草原にある野井戸の話がある。
 野井戸は草原のどこかにあるが、正確にどこにあるのかは誰も知らない。たまにそこに落ちる人がいて、落ちたら最後、いくら探しても見つからない。とても深い井戸で、落ちてからいくら叫んでも誰にも聞こえない。「だからちゃんとした道から離れては駄目よ」というようなことが書いている。

 そして『夜と霧』にはこうある。

これに対して一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。
  『夜と霧』(旧版) p.179より引用

 引用が続いたが、こうして並べたほうが伝わると思って、あえて複数から引用した。
 人は簡単に堕落する。本来の自分を見失う。
 くり返しなるが、そうならないように、「人生が何をわれわれから期待しているか」という人生からの問いに答えるには、
 人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことだ。

 私は自分の人生をあきらめていた。しかし、この『夜と霧』を読んで、自分を甘やかしていた自分を、自分との約束を破り続けてきた自分を、心から反省した。ヴィクトル・エミール・フランクルの体験に比べ、私の体験なんて、自分で蒔いた種を自分で育てただけにすぎない。
 その結果が今の自分の状態なのだ。

 今、私は『7つの習慣』を読んでいる。偶然だが『7つの習慣』にも、この『夜と霧』から引用している部分が複数ある。引き寄せの法則でいうところのシンクロニシティとは、こういうことなのだろう。引き寄せの法則を信じていない人にとってはただの偶然にすぎないけどね。

 人は何歳であっても、どんな状況にあっても、自分の人生を生きることができる。
 この永遠のロングセラーを読んで、感じとって欲しい。

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