夏の葬列 – 山川方夫

2020年9月12日

Contents

■『夏の葬列』は、戦争と人間のエゴの物語■

『夏の葬列』
太平洋戦争末期の夏の日、小さな町が空襲された。
当時少年だった主人公は、年上の白いワンピースの少女と、葬列を見る。そこへ、艦載機が二機やってきた。
一緒に逃げるために、少年を助けようとした少女を、主人公は突き飛ばし、同時に、少女は銃撃される。
成長して成人した主人公は、思い出の町を訪れる。
そこで、あの時と同じ、葬列を見る。
その葬列の先頭の人が持っていた遺影を見ると、あの時、突き飛ばした少女が写っていた……

■目次

(短編)
夏の葬列
待っている女
お守り

(ショートショート)
十三年
朝のヨット
他人の夏
一人ぼっちのプレゼント

(中編)
煙突
海岸公園

■読後の感想(ネタバレあり)■

『夏の葬列』は、教科書で読んだときから、気に入っていた小説。
戦争よりも、主人公のエゴと、それに対するラストの、主人公への罰=後味の悪さが、ハッピーエンドばかり読んでいた当時、新鮮だったから。

成人してから町を再び訪れ、そこで、少年の時に見たものと同じ葬列を見る。遺影に写っていたのが、かつて、自分が突き飛ばし、銃撃された少女。
自分が殺したと思っていた主人公が、自分は殺していなかったと思うシーンが、とても人間的だなぁって思ったよ。
自分に都合よく考える、思う部分だね、これって。

その後、遺影に移っているのは、かつて主人公が突き飛ばした少女の母親であり、少女を亡くしたことで、精神を病んでしまったことを知り、主人公は、少女の死だけではなく、少女の母親の死も、残りの人生で背負うことになる。

『お守り』。
なんの変化もない毎日を繰り返す主人公が、ふとしたことからダイナマイトを買う。

僕は任意の一点なんかではない。

という思いのために。

自分じゃなくてもできることをやる毎日。自分がいなくなってもまわる職場。自分の代わりなんていくらでもいる。
自分という存在って、いったい何なのだろう?
自分はなんのために生きてるんだろう?何のために働いているんだろう?
ここから抜け出せない主人公が、ダイナマイトを持つことで、自己を保とうとする。

と、こうやって書いちゃうと、ただのダメ人間の話。
自分には何もない。自分には何もできない。
けど、変化は怖い、面倒だ。
今の状態のまま、何か変化が訪れるのを待っているだけ。

自分に何もなくて、何もできないなら、選択肢は2つ。
1 いわゆる、今いる場所で咲く。
2 やりたいことを思い出す、見つける、探す、やってみる。

1は、まあ、そのまんま。意識を変えて、今の場所で咲く。
2も、そのまんまだけど、半年とかやっただけで、あきらめたら、一生何かを探し続ける羽目になる。

と、話が脱線した。戻そう。

この本の中では、短編の三作が好きだな。
『海岸公園』と、同じ集英社文庫から刊行している『安南の王子』収録の『最初の秋』も好きだ。

短編とショートショートは、人生の残酷さ、悲しさ、人が抱える影を書いていて、今読んでも、古さを感じない。いや、マジで。
普遍的なことを書いているからかな。

物語の中で、自然に、さらっと、人間の影の部分や、エゴを書いていて、その一文が読後も残ることが多い。

『海岸公園』や、講談社文芸文庫『愛について』など、後期(とは言っても、作者は35歳目前に交通事故で亡くなっていますが)の作品は、もっと人間に対して肯定的な作品が増える。

前期の作風が苦手な方は、後期の作品から。後期の作風が苦手な方は、前期の作品から読んでみては?

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