ハーバードの人生が変わる東洋哲学 – 著/マイケル・ピュエット&クリスティーン・グロス=ロー 訳/熊谷淳子

Contents

■人生を変えるきっかけになるかもしれない

下に記した目次を見てもらえばわかるけど、自分の力で人生を切り開いていくための考え方として、西洋哲学とは違う視点で書いているのが、この『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』だ。

もちろん西洋の哲学や思想を否定するものではない。
哲学の何たるかを知っているわけでもない私がこういうことを言うと怒られるんだろうけど、専門家でもない私にとって哲学は、ものの考え方を知ることであり、その人はそのことをどう考えたのかってことを知ることだ。
そして、それらを知った上で、自分ならどう考えるか、どう生きるかと考える。

西洋的な考え方に偏りがちだった私にとって「強くなるために弱くなる」「あるがままがよいとはかぎらない」などの考え方は、視野を広げてくれた。
他にも「ありのままの自分なんてどこにもいない」「ポジティブがいいとはかぎらない」「道とは探すものではなく作るもの」など、忘れていたことやもやもやしていたことが書いてあり、ざっと見渡すには読んでよかったよ。

読後思ったのは、この本で取り上げられている人の本を読みたいということ。
10代20代の頃、読まなきゃと思っていた『論語』『老子』『荘子』は、読まなきゃと思っていたことを忘れ、気がついたらアラフィフになっていた。
何やってたんだろ、自分。と、反省。

一番読みたいのは最後に取り上げられている荀子なんだけど、荀子に行き着く前に取り上げられた人の本を読まなければ理解が進まなそうなんだけどね。

というわけで、詳しい感想は目次のあとで。

■目次

はしがき
はじめに
1 伝統から“解放された”時代
2 世界じゅうで哲学が生まれた時代
3 毎日少しずつ自分を変えるー孔子と“礼”“仁”
4 心を耕して決断力を高めるー孟子と“命”
5 強くなるために弱くなるー老子と“道”
6 まわりを引きつける人になるー『内業』と“精”“気”“神”
7 「自分中心」から脱却するー荘子と“物化”
8 「あるがまま」がよいとはかぎらないー荀子と“ことわり”
9 世界じゅうの思想が息を吹き返す時代
謝辞
解説 かのように-マイケル・ピュエットが問いかけるもの
参考文献と推薦図書

■考える力を養う

さて、では本の目次どおりに感想を言っていこう。
と、その前に予防線を張っておく。

私は哲学の専門家じゃないし、哲学を学問として学んだことはない。入門書を何冊か読んだ程度だ。
そして、これから言うことは感想だ。レビューじゃない。そもそも私はレビューを読まない。レビューも星の数も読まないし見ないことにしている。
なぜなら、大多数の人にとってそれほどでもない本や映画や音楽、その他にも食べ物や店や宿泊施設であっても、私にとっては良いものであったり、生涯記憶に残るものであるかもしれないからだ。
と、そんなことはどうでもいいか。
感想に移ろう。

っていうか、そもそもなんだけど、どうなんだろう?何がって?
いや、読みながらも思ってたことなんだけど、西洋の人が東洋哲学に触れて、そこに価値を見出したから、人生を変えるとか言われてるんじゃないかな?っていう疑問は読んでいる間、ずっとあった。
『これからの「正義」の話をしよう』を読んだときと似ている思いだ。

私はアラフィフだけど、10代20代30代40代の人が読んだら、それぞれ違うのかな?

どういうことかというと、私が小学生の時に道徳の授業で教科書に載っていたことや、関連して担任が教えてくれたこと、また、当時は隣近所どころか、見ず知らずの大人にも良くないことをしたら怒鳴られたり諭されたりしたものだけど、そういうことで学んだこと。
これらばかりではないけど、あの頃、つまり、私が小学生の時に学んだことが少なからずこの本に書いているんだ。
特に孔子のパートでね。
小学生の時は「礼」とか「仁」とか言われてもピンとこなかったけど、そこはわかりやすい例え(今思えば、論語からとったものだったきがしないでもない)で、礼という言葉は使わず、こうするものだ、こうした方がいいっていう感じで教わった。

まあ、これは私見だけど、日本って、平成の30年間で急速に道徳が失われ、人としての質が落ちたような気がしている。
自分の責任を受け入れられずに、外にばかり理由を求めたり、自分の非を認めたくないから、他人や企業や自治体や国のせいにしてみたり。
車の運転も思いやりがなくなった。
赤ちゃんが泣き声に対して「うるさい」とかっていう、時には怒鳴る大人が増えたことだってそうだ。
あんたが赤ちゃんのときは泣かなかったのかよと言いたい。
保育園を建てるのも、騒音が理由で建てられないなんて信じられないこともあちこちで起きている。
公園で騒ぐな?
子どもたちのおかげで自分たちの居場所がなくなるっていう、自分中心の理由を、言い方を変えているだけだ。
赤ちゃんが泣くのも、子供が大声で叫びながら走り回るのも、40代以上の大人は、何らかの事情がない限り、みんな通り過ぎてきているはずだ。
いつからこの国は寛容と礼と仁、道徳や倫理、思いやりやお互いさま、これらを失ってきたんだろう。

もちろん、みんながみんなじゃない事はわかってる。
いや、ごめん、脱線しすぎた。

あなたはあなたの人生を生きなきゃいけない。
他の誰かの人生を歩むことはできないし、誰かがあなたの人生を歩むこともできない。
当たり前だよね。んなこと、わかりきってるよね。

でも、自分の人生を生きているはずなのに、自分の意志で、自分の力で生きてるかって聞かれたら、自信を持ってハイと言える人は少ないのではないだろうか。
仕事に翻弄され、人間関係に疲れ、自覚がないままテレビやネットなどの情報に流され踊らされて、自分の人生を生きているつもりにさせられてはいないだろうか?

また「思う」と「考える」を同じものだと思っている人がいる。
この2つは違うから、言葉が2つに分かれてるんだよ。

で、どうすりゃいいかっていうと、考えることだ。
考えられない、考えがまとまらない理由のひとつは、自分の脳みその中に、考える方法=考え方がインプットされていないからだ。
そしてもうひとつ、考えるための語彙力が不足しているからだ。

そのために哲学書を読もうなんてことは言わない。
哲学書をいきなり読んだって、わけがわからない。
日本語で書いているのに書いていることが理解できない。
西田幾多郎の『善の研究』なんて、一行どころか一語流し読みしただけで、その後がすべてわからなくなる。

だから、とりあえずは哲学の入門書を何冊か読んで、考え方をインプットしよう。
同時に、できれば古典を読もう。せめてラノベ、ミステリ、ホラー、SF以外の本も読もう。
ラノベ、ミステリ、ホラー、SFが悪いとは言わない。娯楽だけで終わらせなければいい。
どちらも洋の東西は問わないけど、東洋も西洋も読んだほうがいい。

偉そうなことを上から言ってるけど、私はまったく偉くもないし、今のところ成功者でもない。
そんな私でも、私より考えることができない人や何か起きたり見たりすると反射的に反応してしまう人など、
どうしたものかと思う人をよく見かける。

こういう人は、考える力を失っている。

AIに使われる人間になりたくなければ、考える力を養うことだ。
世界の先進国の中では、日本人は哲学と宗教がとても弱いそうだ。
冠婚葬祭、ハロウィン、クリスマスなど、これほどいろんな宗教行事をこなしているのにね。

この本を読んだから人生が変わるとは言わない。
でも、この本がきっかけで人生が変わるかもしれないくらいは言える。
『論語』を読んでないのに『論語と算盤』を読んだって、おそらく理解度は読んだ人と比べたらかなり少ない。
荘子の有名な話の「胡蝶の夢」だって、あの話がはたしてどういうことを言いたいのか知るだけでも、ものの見方が変わる。

人生を変えるとか自分を見つけるとかというと、自己啓発本を読めばいいと思うかもしれないけど、多くの自己啓発本はノウハウ集で終始している。
つまり、考えなくても、書いていることをそのままやればいいような書き方をしている。
それはそれで有効かもしれないけど、足りないんだ。

やっぱり、考えなければいけないんだよ。

だからさ、とりあえず、哲学の入門書として、この本から読んで、次は西洋哲学の入門書や基本的な本を読むのもいいんじゃないかな。

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