私の読書の履歴書10 高校生4

私の読書の履歴書の高校生編4回目。
今日は高校生の時に読んだ文学。
もちろん、読んだと言っても、本であって教科書じゃない。

教科書で思い出したけど、高校の2年だったか3年だったか、夏目漱石の『こころ』を当時の科目で言うと、現代国語で習ったんだよ。今は何て言うのかわからない。今って、私のときより科目が細分化されたり統合されたりして、教科の名前が変わってたりするんだよね。あれ?教科じゃなくて、大学受験の時のテストの名前だったかな?

ま、とにかく現代国語で『こころ』が出てきたんだよ。
で、私は本を読んだことがあった。
テストでその後の展開に関する問題があったんだけど(ごめん、詳しくは忘れた)、読んでたからわかってたんだよね。
で、それを答えに書いた。
返ってきた答案用紙は✕になってたんだよ。
先生にじっさい、この後こうなりますよね?って強めの口調、いや、強く講義したら、先生からこう言われたんだ。
「作品が本当にお前が言うような展開になるのだとしても、答えが違う時がある。なぜなら、現代国語ってのは、与えられた文章だけで考えることを養う教科だからだ。ただし、お前のように、読んだことがあるを惑わせる問題を作った先生にも責任はある。その点は謝る。すまん」

なるほどと納得した。
そして、素直に謝った先生に対して、こういう大人になりたいと思ったよ。
下手に隠したり、ごまかしたり、逆ギレしないで、素直に非を認めて謝る。
ま、大人というよりも子供もだよね。
「人として」ってことなんだけどね。

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Contents

●こころ

というわけで『こころ(こゝろ)』なんだけど、これ、授業で習うときは、登場人物の先生の死は「友人への後ろめたさ、贖罪」「妻への罪の意識」なんてこと説明を受けることが多いかもしれない。私もそうだった。

さらっと読むと、たしかにそう感じる。
でも、先生に遺書にはっきりと書いてるんだよね。
「明治の精神」への殉死だって。

で、その「明治の精神」って何?ってなると思うけど、これは高校生の私にはピンとこなかった。
当時はパソコンは一般家庭でも持ってる人は持ってたけど、インターネットは一般的じゃなかった。何かを調べるには、誰かに聞くか、その質問の答を書いている本を探さなきゃいけなかった。

面倒だけど、本を探してその本を読むことで、質問の答え以上の知識を得られたり、質問の周辺の知識を得られたりするから、効率は良くないけど、リターンは大きかったよ。

話を戻すけど、詳しくは書かないのであしからず。
「明治の精神」って何か?ざっくり言うよ。
武士の道であったり、封建制だ。
また、儒教を元にした道徳が生きていた時代だ。

その時代の象徴として明治天皇がいた。
また、明治天皇の死の後を追って、天皇への忠義を果たすために、そして日露戦争での功績を認められていたにも関わらず、日露戦争で多くの犠牲者を出してしまったことへの後悔も含め、名将と呼ばれる乃木稀典は、明治天皇の大喪の日に妻とともに喉を切って自害するんだよね。

「明治の精神」が死に、新たに訪れたのは個人主義、理想主義、資本主義だ。
これは今でも続いているのは、あなたもわかるだろう。

どっちがいいとは言わない。
失われたものもあれば得たものもある。

先生という1人の人間の物語だ。
「友人への後ろめたさ、贖罪」「妻への罪の意識」だと思って読んでも間違いではない。
そう思って読んでもいい。
「明治の精神」の死の物語として読むと、これまでとは違って見えるだろう。

 

 

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●坊っちゃん

これは中学校の教科書に載ってたけど、もちろん一冊の本を読んだ。
文学というよりは、勧善懲悪の大衆小説。
けどさ、登場人物の赤シャツ、今の世の中にも、あちこちにいるんだよね。
時代は変わって、科学は進化しても、人間そのものは、神話の時代から進歩も進化もしてないのかもなぁ。
って思ったんだよね。

この作品、映像化も何度かされているらしいけど、私は観たくないな。
たぶん坊っちゃんは、夏目漱石の文章で読むから最後まで読めるし、おもしろんだと思う。
これ、下手に映像化なんてしたら、陳腐なものに成り下がりそうなんだよね。

 

 

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●吾輩は猫である

これね、高校時代の私はおもしろいと思えなかったんだよね。
24、25歳くらいのときに読み返したときは、おもしろいと思ったんだけど。
やっぱ本の良さ、不思議さって、こういうところだな。

10代の頃はあんなにおもしろかったのに、30歳過ぎて読み返したら、ぜんっぜんおもしろくないとか。
15歳のときに読んだときは何がいいのかさっぱりわからなかったのに、19歳のときに読んだら「すげぇっ!!」って、部屋で1人で大きな声出すくらい衝撃だったり。
20代前半に読んだときはなんじゃこりゃって思ってた本を、40歳過ぎて読み返して涙と鼻水止まらなかったり。あ、ちなみに40歳超えたあたりから、涙腺が緩んで、やたら涙もろくなったりもするんだけどね。
ちなみに私は、はじめてのおつかいとか、毎回どっかで涙流してるから。

で、『吾輩は猫である』今ならこう思う。
この作品は「観察する作品だ」って。
猫って、寝たふりしながらでも、まあ、見てるんだよね。
「あんたのことなんて気にしてないよ」って態度取りながら気にしてる。
ほんと、気まぐれ、ツンデレだ。

この作品に出てくる主人公の猫も、ずいぶんと人間を観察している。
連載者だったから、一話完結の形をとっていて、部分的に話が続いていたりする。

とはいえ、坊っちゃんのところにも書いたけど、今に通じることはたくさんある。
やっぱり、時代は進んでも、科学は進歩してても、人間は神話の時代から進歩も進化もしてないのかもね。残念だ。

そうそう、この作品のラストはけっこう衝撃だよ。
こんな終わりかよっ!って思ったな。

 

 

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ってわけで、高校生の時に読んだ夏目漱石は以上の3冊。
いや、太宰とか宮沢賢治とかも書きたかったんだけど、それはまた次回ってことで。

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