ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと – 奥野克巳

2019年1月8日

Contents

■価値観がまったく違う人生を送る人々

最初に言っておくけど、自分の価値観・ものさしでしか世の中を見れない、そういう視点でしか本を読めない、テレビや動画を見れない人は、この記事を読まなくていいし、この本は読まないほうがいい。

この本は文化人類学者が、ボルネオ島に住む狩猟採集民「プナン」と生活を共にし、そこで見たもの聞いたこと、考えたことを述べている本だ。
つまり、日本の生活とはまったく違うし、とうぜん習慣も違う。
プナンの生活、人生について書いているということは、食事、結婚、日常、そして性についても詳しく書いている。

この手の本を読んだり、テレビや動画を見るときは、今の自分の価値観と照らし合わせてはいけない。その地に住む人々がどのように生きているのか、どんな習慣があるのか、自然も自分たちも含めて世界をどう見ているのか考えているのかということを知り、知ったうえで考えることだ。

自然の奇怪な光景を見に行く旅に出る人や、海外で日中でも発泡する音が聞こえるような治安の悪い場所へ行ったり住んだりする人や、虫を食べる旅に出たりする人などがいるけど、こういうのを見たり読んだりするときも「すげぇ人がいるなぁ」じゃないんだよね。それも込みなんだけど、世界にはこういう場所がある、こういう生活をしている人がいる、こういうものも食べられるっていうのを知ることなんだよ。
第一歩目としてはね。

そして次に、何でこういう景色ができたのか、何でこんな治安になってしまったのか、どうしてこういう生活をしているのかってことを考えたり、考えが及ばなかったらさらに調べたりするものなんだ。

それを、見たり読んだりして「気持ち悪い」「不快だ」って言っちゃう人は、この手の本を読んじゃいけないし、テレビも動画も見ないほうがいい。
そもそもこんなことを言う人は、そこに住んでいる人たちの日常、人生を侮蔑、差別しているってことに気づいていない。
つまり、最初に言ったように「自分の価値観・ものさしでしか世の中を見れない人」なんじゃないかな。

私は間違っているのかな?

と、いうわけで本を読んだ感想は目次の次から話すんだけど、あなたがここまで読んで不快に思ったなら、これ以上は読まなくていいし、コメント残すなんて無駄な時間を使わなくてもいいから、あなたにあう、あなたが読みたい、どこか他のブログを探しに行ってほしい。

■目次

はじめに
1 生きるために食べる
2 朝の屁祭り
3 反省しないで生きる
4 熱帯の贈与論
5 森のロレックス
6 ふたつの勃起考
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
8 死者を悼むいくつかのやり方
9 子育てはみなで
10 学校に行かない子どもたち
11 アナキズム以前のアナキズム
12 ないことの火急なる不穏
13 倫理以前、最古の明敏
14 アホ犬の末裔、ペットの野望
15 走りまわるヤマアラシ、人間どもの現実
16 リーフモンキー鳥と、リーフモンキーと、人間と
おわりに-熱帯のニーチェたち
参考文献

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■ありがとうもごめんなさいもいらない。
ものはすべてみんなのもの。
子供はみんなで育てる。

プナンの人々は、生きるために生きている。
狩りをして獲れたものを食べる。お金をまったく使わないわけではないが、そのお金で買ったものは個人のものではなく、集落全員のものだ。

食事はその食事を摂る人全てに平等に分けられる。
子供の頃から個人でなにか所有しようとすると、まわりの大人がみんなに分けるように、みんなにも使わせるようにと言う。
だから、ある人がどこかで買ったりもらったり見つけた腕時計をつけていて、それを見た他の人が自分にくれというと、腕時計をつけていた人はその人に譲る。
しかし、もともとものはすべてみんなのものなので、もらった方は「ありがとう」とは言わない。言う必要がない。

獲物を町に売りに行って稼いだお金の多くを酒代に使ってしまう人もいる。
しかし、誰もその人を個人的には責めない。
集会を開いてどうしたらいいのかと話し合うが、長い時間話し合った結果、みんなで気をつけようということになる。
みんなで分けるべきものを一人が搾取したのだから、なにかしらの罰があってもいいというのが私たちの価値観なんだけど、プナンの人々はそれをしない。

トイレは国が用意したものがあるんだけど、物置になっている。
排泄物は集落から少し離れたところでする。しかも、そのあたりに集中してする。
翌朝、借りに行くときにみんなでその排泄物を見て、歩きながらあれこれと話し合う。
臭いがきついのはヒゲイノシシを食べすぎたからだとか、液状になっているのは体調が悪いからだとか。
排泄物は、集落に住む人達の健康のバロメーターであり、みんなで情報を共有するために、外の1ヶ所にまとめているんだ。

性に関しても、親しい男同士の挨拶は「勃◯してる?」だ。これは「元気か?」ということ。
男女の恋愛も密かに会うことはしない。男が女の家に行き、家族と話をする。夜は家族が蚊帳やテントの外に出てすぐ隣に寝る。一人になった女のところに男がやってきて営む。

そしてプナンの人々には鬱病など精神の病がない。
私たちのように、現状や将来に対する不安や責任がないし、夢や希望もない。かといって絶望もない。
それは、プナンの人々は日々を生きることに集中しているからではないかなと私は思った。

その日その日を生きるために、毎日狩りに行く。
季節や時期を教えてくれる鳥の鳴き声。
ヒゲイノシシ、リーフモンキー、ヤマアラシなどを狩り、みんなで平等に分けて食べる。
子供を近くの家族に養子に出したり、他の家族から養子を受け取ったりして、生みの親育ての親の間を子供は行き来する。そうして子供は大人になっていく。

狩猟民族として、狩るものがなくなったら移動することを繰り返してきたプナンの人々にとって、何かを個人的に所有することはその集落の人工の減少に繋がりかねないんじゃないかな。
みんなが元気で健康でなければいけない。
リーダー的存在が資源を多く持つと、他の人々は元気で健康でなくなる。そうなると狩りの収穫も少なくなる。そしてさらに人口が減っていく。
これでは集落を、部族を守れない。
そこでプナンの人々は、ものを平等に分け、個人所有を認めないんじゃないかな。

プナンの人々と私たち、どっちがいいとか良くないとか、どっちが幸せかどうかとか、そういう見方はしてはいけない。
ただただ、こういう生き方をしている人々も、同じこの地球にいるということを受け入れて認めなければいけない。

ここまで話しておいてなんだけど、この手の本って、まとめるのが難しいんだよね。
なぜなら生きることに直結してるから。
今の日本の価値観と、今の自分の価値観。今の自分の生き方について考えさせられるから。

「おわりに」で著者が書いていたんだけど、有名人の不倫問題。
あれって、当事者同士で解決すればそれでいいはずなのに、メディアを通じて国民に謝らなければいけないってのは、何かおかしいんじゃないかって。
私も同じ意見だ。
そういう人が出ているテレビは見たくないのなら、見なきゃいいだけじゃないかな。
出てきたのを確認した時点で、他の番組見りゃあいいじゃん。
それを見せられたとか、なんで出すのかとか、騒ぐ方も騒ぐ方だと思うんだけどね。
暇だね。時間が余ってるんだね。

私は他人のことをあれこれいう時間があるのなら、自分の人生を今より良くするために時間を使いたい。
テレビなどでは見ることはあっても、じっさいに会ったこともなければ話したこともない有名人の恋愛問題についてあれこれ考える時間があるのなら、一冊でも多くの本を読みたいし、いろんなやりたいことをやる時間にあてたい。

プナンの人々は、その日その日を笑って朝を迎え、生きるために狩りにでかけて、獲物をみんなで平等に分けて食べて、一日を終える日々を送っている。

私たちは将来に備えて子供の頃から学び、知識や経験を所有し、ものを所有する。
日本がそういう価値観で動いている国だから。
幼い頃からの夢や希望はなかなか叶わない。叶ったとしてもその後にはさらに競争が続く。
自分は自分と言って生きていきたいけど「普通」「一般的には」という見えない檻の中にいなければ、まわりからはじかれる。家族や友人、知人、仕事上での付き合いなどしがらみもある。
思ったように生きれない。
世界中の先進国では鬱病などの精神的な病を抱えて生きる人もいる。

じゃあ、プナンの人々の暮らしが理想なのか?
そうではない。

プナンの人々は一つの集団の中で生きているんだけど、それは人間としての集団だけではないんだよ。
著者も書いてるんだけど、自分たちを取り巻く自然すべてを含めて暮らしているんだ。だから精神的な病を発症する人がいないのかもしれない。

だとしたら、日本ではどうしたらいいのかってことなんだけど、一つの集団だけにとどまらないってのはどうかな?
仕事だけで考えれば、勤めているのなら、副業も許可されているのなら、週に2、3日だけでもできる副業をやってみて、今の会社以外の場所で働く。つまり今の集団以外の集団にも同時に属する。

個人事業主の人だったら、違う仕事もやってみるとか。

今の仕事だけをしながら、他の集団に属することだってできるはずだ。趣味の講座を受けたり、新しく何かを始めるために教室に通ったり、お金をかけたくないなら、ボランティアとか無料講座や講義、少しだけお金をつかうのなら、個人が経営するカフェや飲食店に通って、そこの常連になることだって、新しい集団に属することになる。

いっそ自分で何かをはじめて見るのもいいかもしれない。読書会を開いて本好きな人を集めて、それぞれが好きな本を紹介しあう。もちろん、集め方は考えなければいけないけど、2度や3度集まらなかったからと言ってあきらめずに改善したり、他の集め方を模索したりして、続けてみたり、来てくれた人と一緒に考えたっていいんじゃないかな。

そこにしかいないから、そこの価値観だけしか見えなくなるってことは、よくあることだから。

この本を読んで、自分がそうだと思いこんでいる価値観って、無意識にこびりついている厄介なものなんじゃないかって思ったんだよ。
いろんな価値観があって、いろんな生き方があって、いろんな人がいる。
わかってるんだけど、いつのまにか否定したり攻撃したりする。
でもそれって、間違ってるんだよね。

この手の本を読んだのは久しぶりだったんだけど、自分の生き方、価値観を見直すには、この世界で生きている日本以外の場所の生き方や生活、習慣、思考、価値観を、本やテレビや動画で知ることもきっかけになるってことを確認できたよ。

ま、一番いいのは、この著者のように、じっさいにそこへ行って、1週間とか1ヶ月とかじゃなく、もっと長い期間、生活をともにすることなんだけど、まあ、さすがにそれはきついよね。

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