愛と暴力の戦後とその後 – 赤坂真理
Contents
■戦後とその後への問いとして読み、自ら考えるための本■
これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。
-本文まえがきより引用-
私は、赤坂真理さんより8歳下なので、同年代というのは微妙ですが、高校を卒業するまでずっと、歴史の授業で、戦後について詳しく授業を受けた記憶がない。
教師は、教科書を一度、音読させたり黙読させたあと、ページを飛ばし飛ばしで説明し、あっという間に戦後の授業が終わり、そのまま、歴史の授業が終わった。
「教えることが多すぎて間に合わない」
中学生の時に歴史を教えていた先生が、ぼそっと言ったのを覚えてるよ。
しかし、当時はそういうものかと思ってたし、今もそうなのかもしれないし、受験の絡みもあるかもしれないけど「間に合わない」ということは、その先生の計画が杜撰だったとも考えられるなと、成人してからしばらく過ぎた時に、ふと思った。
その後、興味が出た時だけ、数冊、戦後についての本を読んだ。
陰謀論的な思いになりますが(あくまでも思いであり、何かを調べたとかは一切ありません)、もしかしたら、わざと戦後について、詳しく教えられなかったのかなという考えがよぎることがある。
本書『愛と暴力の戦後とその後』は、小説『東京プリズン』で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞した赤坂真理さんが、自ら、戦後について問いを立て、第一次情報があればそれを調べた結果、本人の考えや思いを綴った記録だ。
■目次
プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語はどこまで私たちのものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 一九八〇年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
終 章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために
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■赤坂真理さんが正しいとか間違っているとかではなくて■
この記事の冒頭にも引用したけど、赤坂さんはまえがきにこう書いてる。
これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。
-まえがきより引用
ということは、本書は、赤坂さんが知ろうと思って、自ら立てた問いを自ら答えを出すために「知ろうともがいた一つの記録」だ。
調べた情報は、嘘を書いてその嘘が本になっていない限り、事実。
しかし本文は、随筆的な要素も多く、赤坂さんがそのことについてどう考えたか、どう思ったか、どういう結論を出したかが書いてる。
つまり「あなたはどう考えますか?」「あなたはどう思いますか?」「あなたはどんな結論を出しますか?」と、読者である私たちが問われているということだ。
同じくまえがきには、以下の文章がある。
これは、一つの問いの書である。問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。
-まえがきより引用
まさに明記されてるね。
私は、日本の教育は、歴史の重要性を教えない教育だと思ってる。
今も昔も変わらないんじゃないかな。
暗記科目、受験用授業としての位置づけにしか思えない。
歴史というのは、考えや立場によって、教育が難しい面があるのも理解しているつもりだ。
右や左に寄らず、あくまでも中立の立場で、教えるべきものだとも思ってる。
そして、歴史の教科書も、毎年、検閲が入っていることも事実。
これは、メディアに関しても言えることだけど、ニュースもドキュメントもノンフィクションも、そして教科書も、正しいことを伝えているとは言えない。間違いではないことを、切り貼りして、一つの情報という形に仕上げていることなんてのは、日常茶飯事。
そこには、編集や検閲がある。
そこには、その時の国の状況、世界の中での立場がある。
そこには、スポンサーがいますし、時代によって、その時の状況によって、流してはいけない情報もある。
私たちは、選別されて、検閲を受けた情報しか見聞きしていない、読んでいないということだ。
言い換えると「私たちが知ってもいい情報しか知ることができない」ということ。
インターネットで検索すれば、テレビや雑誌では知ることができない情報が数多く出てくる。
しかし、このインターネットの情報も、鵜呑みにできない。
記事を書いた人が、勝手に思い込みで書いていることなんて、これまたよくあること。
その情報が本当なのかを判断するのは、自分自身でしかない。
そして、一番信用できる情報は、(これも情報によるとしかいえないのがもどかしいのですが)第一次情報、原典に当たること。
物語ではなく、感情を排したもの。報告書などがいい。
本の感想から、大きくそれましたが、この本に書いていることは、情報として読むべき部分と、赤坂真理さんが自分の考えとして書いている部分があるので、そこは区別して読むべきだと言いたいから。
そして、区別して読んだうえで、読者である私たち一人一人が、自分の頭で考えて、(今現在の)自分なりの結果を出すことが、大切なんじゃないかな。
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