愛と暴力の戦後とその後 – 赤坂真理

2019年1月16日

Contents

■戦後とその後への問いとして読み、自ら考えるための本■

これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。
-本文まえがきより引用-

 私は、赤坂真理さんより8歳下なので、同年代というのは微妙ですが、高校を卒業するまでずっと、歴史の授業で、戦後について詳しく授業を受けた記憶がない。
 教師は、教科書を一度、音読させたり黙読させたあと、ページを飛ばし飛ばしで説明し、あっという間に戦後の授業が終わり、そのまま、歴史の授業が終わった。
「教えることが多すぎて間に合わない」
 中学生の時に歴史を教えていた先生が、ぼそっと言ったのを覚えてるよ。

 しかし、当時はそういうものかと思ってたし、今もそうなのかもしれないし、受験の絡みもあるかもしれないけど「間に合わない」ということは、その先生の計画が杜撰だったとも考えられるなと、成人してからしばらく過ぎた時に、ふと思った。

 その後、興味が出た時だけ、数冊、戦後についての本を読んだ。
 陰謀論的な思いになりますが(あくまでも思いであり、何かを調べたとかは一切ありません)、もしかしたら、わざと戦後について、詳しく教えられなかったのかなという考えがよぎることがある。

 本書『愛と暴力の戦後とその後』は、小説『東京プリズン』で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞した赤坂真理さんが、自ら、戦後について問いを立て、第一次情報があればそれを調べた結果、本人の考えや思いを綴った記録だ。

■目次

プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語はどこまで私たちのものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 一九八〇年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
終 章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために

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■赤坂真理さんが正しいとか間違っているとかではなくて■

 この記事の冒頭にも引用したけど、赤坂さんはまえがきにこう書いてる。

これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。
-まえがきより引用

 ということは、本書は、赤坂さんが知ろうと思って、自ら立てた問いを自ら答えを出すために「知ろうともがいた一つの記録」だ。

 調べた情報は、嘘を書いてその嘘が本になっていない限り、事実。
 しかし本文は、随筆的な要素も多く、赤坂さんがそのことについてどう考えたか、どう思ったか、どういう結論を出したかが書いてる。

 つまり「あなたはどう考えますか?」「あなたはどう思いますか?」「あなたはどんな結論を出しますか?」と、読者である私たちが問われているということだ。
 同じくまえがきには、以下の文章がある。

これは、一つの問いの書である。問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。
-まえがきより引用

 まさに明記されてるね。

 私は、日本の教育は、歴史の重要性を教えない教育だと思ってる。
 今も昔も変わらないんじゃないかな。
 暗記科目、受験用授業としての位置づけにしか思えない。

 歴史というのは、考えや立場によって、教育が難しい面があるのも理解しているつもりだ。
 右や左に寄らず、あくまでも中立の立場で、教えるべきものだとも思ってる。

 そして、歴史の教科書も、毎年、検閲が入っていることも事実。

 これは、メディアに関しても言えることだけど、ニュースもドキュメントもノンフィクションも、そして教科書も、正しいことを伝えているとは言えない。間違いではないことを、切り貼りして、一つの情報という形に仕上げていることなんてのは、日常茶飯事。

 そこには、編集や検閲がある。
 そこには、その時の国の状況、世界の中での立場がある。
 そこには、スポンサーがいますし、時代によって、その時の状況によって、流してはいけない情報もある。

 私たちは、選別されて、検閲を受けた情報しか見聞きしていない、読んでいないということだ。
 言い換えると「私たちが知ってもいい情報しか知ることができない」ということ。

 インターネットで検索すれば、テレビや雑誌では知ることができない情報が数多く出てくる。
 しかし、このインターネットの情報も、鵜呑みにできない。

 記事を書いた人が、勝手に思い込みで書いていることなんて、これまたよくあること。
 その情報が本当なのかを判断するのは、自分自身でしかない。

 そして、一番信用できる情報は、(これも情報によるとしかいえないのがもどかしいのですが)第一次情報、原典に当たること。
 物語ではなく、感情を排したもの。報告書などがいい。

 本の感想から、大きくそれましたが、この本に書いていることは、情報として読むべき部分と、赤坂真理さんが自分の考えとして書いている部分があるので、そこは区別して読むべきだと言いたいから。
 そして、区別して読んだうえで、読者である私たち一人一人が、自分の頭で考えて、(今現在の)自分なりの結果を出すことが、大切なんじゃないかな。

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