世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? – 山口周

Contents

■目次

はじめに
忙しい読者のために
本書における「経営の美意識」の適用範囲
第1章 論理的・理性的な情報処理スキルの限界
第2章 巨大な「自己実現欲求の市場」の登場
第3章 システムの変化が早すぎる世界
第4章 脳科学と美意識
第5章 受験エリートと美意識
第6章 美のモノサシ
第7章 どう「美意識」を鍛えるか?
おわりに

■今までのやり方では通用しなくなっている、解決できなくなっている問題が出てきている

私はエリートじゃないし、エリートになる予定もない。
けど、この本のタイトルを見た時に(本が好きな人ならわかってもらえると思うけど)、なんか気になったので、読むことにしたんだよ。

現在、世界のエリートは「美意識」を鍛えているそうだ。
出勤前に朝の早い時間に美術館やギャラリーへ行って、社会人向けのギャラリートークへ行ったりしている。ギャラリートークってのは、作品の美術史上の意味合いや見どころ、制作にまつわる逸話などを参加者に解説してくれるものだ。
また、イギリスのロイヤルカレッジオブアートという名門美術学校では、企業向けにグローバル企業の幹部トレーニングのプログラムをやってる。

で、ここまでですでに、なんで世界のエリートは美意識を鍛えるのか?っていう疑問がわいてくるよね。
その答えがこの本に書いてるわけだ。

著者が執筆するにあたり、多くの企業・人にインタビューした結果、共通して指摘された解答をまとめれば3つある。
1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある。
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある。
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している。

ということなんだけど、これだけ言っても何のことやらわからないよね。
詳しくは、もちろん本書を読んだらわかるんだけど、3つを私なりに、大雑把をさらに大雑把にしてまとめてみよう。

論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある。

数字、データなども含めた情報をより多く集め、処理し、決定するってのが、日本企業の意思決定のほとんどだ。でも「論理的、理性的にシロクロがつかない問題」が出てきた時、何が起きるかっていうと「経営における意思決定の膠着と、その結果としてのビジネスの停滞」だ。
論理的、理性的にシロクロつけられない問題は、いくら情報を集めても、いつまでも意思決定は決まらないことが多い。でも、ビジネスは時間が勝負だ。
こういうときの処理は理性的、論理的な検討を振り切り、意思決定者の「真・善・美」の感覚に基づく意思決定が必要になる。

ちなみに本書ではたびたび、VUCAという言葉が出てくる。
V=Volatility不安定
U=Uncertainty不確実
C=Complexity複雑
A=Ambiguity曖昧
この頭文字を取ったものなんだけど、このVUCAはアメリカ陸軍が現在の世界情勢を表現するために用いた造語なんだって。

もう一つは「差別化」の問題だ。
情報処理を理性的、論理的に行うことは、いってみれば「正解を出す技術」だ。
つまり、大中小問わず、企業はみんなで同じ答えをだすために日々、情報処理をしている。正解=同じ答えばかり出るってことは、そこには差別化は生まれない。みんなで一所懸命になってレッドオーシャンを作り上げ、レッドオーシャンで戦ってるってことだ。
じゃあ、このレッドオーシャンで勝つにはどうするかていうと、スピードとコストになる。
かつての日本はこの2つを制して勝利してきたんだけど、今やアメリカはじめ多くの国が追いついているし、追い越してしまった。

じゃあ、ここを解決するにはどうしたらいいのか?
著者は「アート」をトップにし「サイエンス」「クラフト」が支える図式がいいと言ってるんだけど、これがどういうことかってのは本を読んで。
これまで書いちゃったら、たぶん著者と出版社に怒られるから。

と、まあ、この他にも大事な点はいくつかあるんだけど、わかりやすくソニーのウォークマンだとか、スティーブ・ジョブズや千利休などの話を織り交ぜて書いている。

そうそう、エリートじゃない私が「そうそう、そうなんだよ」と頷きながら読んだのが、サイエンス=数字が強くなると、コンプライアンス違反のリスクが高まるってところなんだ。

これを追いかけるとスピードとコストの差別化の問題に行き当たる。そこで企業はどうするかというと、数値目標を現状の延長線上に設定して、現場のお尻を叩いてひたすら馬車馬のように働かせるスタイルになっていく。
これを長期間続ければ、現場はどうするか。
これ以上は無茶だ、無理だと思いながら頑張ってきたのに、もっともっとと上はいう。
そこでどうするか?
イカサマ、改ざんだ。

東芝の粉飾決済、三菱自動車の燃費データ偽装、電通の広告費水増し請求、YKB、日産、スバルのデータ改ざんなどなど、多くの企業のコンプライアンス違反が続出した。

ここで著者はいう。
今の日本に足りないのは「ビジョンだ」って。
多くの人を共感させるようなビジョンだ。
売上を◯%あげようとか、生産性を向上させようという単なる目標、上からの命令じゃなく、自分の会社をどういう会社にしたいのか、どう導きたいのかという強いビジョンが必要だ。
じゃなきゃ、現場はゴールが見えない死の行軍をただただひたすらにさせられているだけなんだから。

2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある。っていうのは、あとにして、さきに、3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している。についてまとめよう。

システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している。

この章の最初に著者はDeNAが起こした2つの不祥事を取り上げている。コンプガチャ問題とWELQをはじめとするキュレーションサイトの問題だ。どういうことだったかはここでは省略するので、検索してほしい。

なぜネットベンチャーがこういう問題を起こすのか?
利益を上げるために、システムの白と黒の間に横たわるグレーゾーンで荒稼ぎしようとするからだ。ここには当然「真・善・美」はない。ただただ稼ぐことを目的として行なわれている行為だ。

なぜこういう事が起きるのか。もう一つ理由がある。
それが、システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生しているっていうことだ。

ここでひとつGoogleの例を取り上げている。
有名なGoogleの社是「邪悪にならない」だ。

今や情報においては世界のトップクラス。人工知能も用いている。
そういう状況にあって、倫理上の過ちを犯さないため、ダークサイドに落ちないために掲げられているのがこの社是なんだ。
また、ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条」も取り上げている。

ここで、なぜエリートは美意識を鍛えるのかという問題に「犯罪を犯さないため」と答えている。
エリートのすべてが犯罪を起こすと言っているのではなく、エリートでありながら犯罪を犯してしまう人がいるのはなぜなのかということをエンロンのジェフリー・スキリングを例にしている。
まあ、結果だけを言えば、そこにあるのは「美意識の欠如」だ。

このあと、本書は、脳科学と美意識について、「偏差値は高いが美意識が低い」受験エリートについてとすすむ。
この受験エリートとの部分では、高学歴の人が、なぜオウム真理教にはまっていったのかということや、オウム真理教のシステムと戦略系コンサルティング業界・新興ベンチャー業界の共通点をあげている。
ナチス・ドイツのアイヒマンも例としてあげていたな。

そして、第6章の美のモノサシでは、マツダの成功を例にしている。ここもなかなかおもしろいので、ぜひ読んでほしい。

最後に第7章でどう「美意識」を鍛えるか?となるんだけど、その前に、さっきとばした、世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつあるってところまとめよう。

■日本にとってのチャンス。自己実現的消費。

パソコンを例にしている。
最初は、記憶容量はどのくらいか、計算能力はどのくらいか、といった機能を商品を選択する際の基準にする。スマホもこれを基準にする人は多いだろう。
で、記憶容量や計算能力などの機能面が、どれもこれも似たり寄ったりになってくると、デザインや質感、かっこいいとかかわいいとか、高級感とかなどで選択する。
この次に来るのが「自己実現的便益」のフェーズという。

ほんとにそうかってことは別にして、スタバでアップルのMacBook Airを開いて、キーボードを打ってる人に対して、あの人は「そのような人だ」と周りから規定されること。
周りからそう見られることを意識したものを選択する。

これが今、かつて先進国といわれた国だけではなく、世界中にひろがった。
ここで勝負を分けるのが「美意識」だ。

著者はここで大きな立脚点となるのは、明治開国以来、来日した数多くの外国人が残した「日本の美意識」に関する印象だと言ってる。

私は本を読んで思ったんだけど、べた褒めだ。
他国にはなくて、日本にある美意識は、何もいわゆるセレブだけじゃない。私のような庶民の日常生活にまで、美を見ている。

話を本に戻すけど、著者はこうも言ってる。
デザインとテクノロジーはコピーできる。しかし、世界観とストーリーはコピーできないってね。
そしてこのふたつを天然資源のように豊富に持っているのが日本だとも言ってるんだ。

ただ、こういう話も載せている。

個人の知的活動を支援する「パーソナルコンピューター」という概念を最初に提唱した人物にアラン・ケイという人がいます。そのケイが来日したおり、国立博物館で螺鈿細工の印籠を見て「日本人は200年も前にこんなにクールで美しいモバイルを作っていたのに、なんでいまはあんなに醜い携帯電話しか作れないのか?」と怒っていたことがありました。
  世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? p.121より引用

この部分を読んで、私は思ったんだよ。
そういえば、この20~30年で、日本人はいろんなものを失ってきてるんじゃないかなって。それは美であり、倫理や道徳と言えるものであり、いわゆるかつて多くの日本人が(たとえ表向きだけであったとしても)持っていた、日本の「真・善・美」なんじゃないかって。
絆、繋がり、譲り合い、助け合い、思いやり。これらがいつの間にか自己中心的なものになってしまった。
人々は視野が狭くなり、目の前のことに追われる。
自分を失うことで、自分の将来のために必要なものはなにかということを考えられなくなった。
新しいものと流行を追い、古いものは価値を失った。
古文なんて日本のことばなのに、今はほとんどの人が読めないからね。私も読めないけど。
っていうか、戦前の本とか、言葉が難しいとか言い出す状況だしね。
わかりやすい、簡単、楽が良いもののようになってる感じがしてくる。
右翼化しようとは言わないよ、もちろん。ナショナリズムだって個人的には好きじゃない。
そういうんじゃなくて、日本人なんだから、かつてあった日本の良さを思い出したり、知ったりして、それを自分の人生や生活に取り入れていくことも、大事なんじゃないかなって。
しきたりとか、そういうんじゃなくて、もっとこうなんていうかな、精神面っていうか、そういうところ。

日本にある、いわゆる「道」とつくものって、形から入るんだよね。
華道、茶道、剣道、柔道等いろいろあるけどさ。
だから、興味があるなら「道」がつくものをやってみるのもいいかもしれない。

私はかつて日本人の多くが持っていた心っていうか、さっきも言ったけど、精神面を大事にしたいな。

さ、ごめんごめん、話を本書に戻そう。

■どう「美意識」を鍛えるか

いくつかあげられているけど、私がやってみたいと思ったのはVTSだ。
簡単に言えば、徹底的に作品を「見て、感じて、言葉にする」ことだ。
何が描かれているか、絵の中で何が起きてこれから何が起こるのか、どのような感情や感覚が自分の中に生まれているかってことを数名のグループで発言しあう。
事前情報はない。思ったままを言う。
パターン認識から自由になる訓練だそうだ。
パターン認識って何かって?うん、本を読んでくれ。

あとは、小見出しを羅列だけしておく。なぜそれが有効なのかも、本書で解説している。
世界のエリートは「どうやって」美意識を鍛えているのか?/「アート」が「サイエンス」を育む/絵画を見る/VTSで「見る力」を鍛える/「見る力」を鍛えるとパターン認識から自由になれる/パターン認識とイノベーション/哲学に親しむ/プロセスとモードからの学び/知的反逆/文学を読む/詩を読む/レトリック能力と知的活動

まずはこの本を読んで、読み終わってから、自分が取り組めることから始めたらいいと思う。
私はとりあえず、哲学に親しむことと文学を読むことかな。
文学を読まなくなってからけっこう時間が過ぎたことだし。
そろそろまた読み始めたかったから、ちょうどよかったといえばちょうどよかったんだ。

古典だって、原文がきつかったら現代語訳を読めばいいと思うんだけどね。

Amazonはこちら-世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)

楽天ブックス-2018/11/20現在売り切れまたは取扱なし

スポンサーリンク