私の読書の履歴書22 20代前半9

村上春樹さんの短編は、ちゃんと読もうと思えばすんごい難解だ。『蛍』みたいにわかりやすければ楽なんだけど、そうはいかない。
だいたいが、最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』なんて、物語として読むだけだったら、読みやすいし、おもしろいと思える作品もあるんだけど、いざ「ところでこれは何を込めているんだろう」って思って考え出すと、やたら難しい。
嘘だと思うなら、この短編集に入っている作品を「〇〇 解釈」で検索してみたらいい。ひとつひとつの短編について、いろんな人がいろんな解釈をしているから。
まあ、そこまでするかどうかは読者一人一人しだいであって、私も最初は文章の表面を楽しんでただけだから。

20代前半で読んだ村上春樹さんの短編集で好きなのは、わかりやすいものが収録されていることもあって『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。

 

 

Amazonはこちら – 螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

短編だけでいうならこれまたわかりやすいもので『カンガルー日和』に収録されている『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』が好きだ。
『カンガルー日和』に収録されている他の短編は、いつもながらちゃんと解釈しようとすれば難しいものも多いけど、解釈抜きで楽しむなら面白い作品が揃ってる。

 

 

Amazonはこちら – カンガルー日和 (講談社文庫)

で、20代前半に読んだ村上春樹さんの長編は初期3部作の他に2作ある。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』だ。
今回は順番ということもあって『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』について話していくよ。
あぁ、解釈や解説じゃないから。あのとき読んだ感想だから、そういうのを期待している人は他を当たって。

●世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

さっきも話したけど、解説や解釈じゃないから。っつうか、この話の解説とか解釈なんてやったら、本1冊分くらい必要なんじゃないかな。検索してみたらわかると思うけど。

高い壁に囲まれて外界とまったく接触がない街。そこで一角獣の頭骨から夢を読んで暮らす「僕」の物語である「世界の終わり」と、老科学者から意識の核にある思考回路を組み込まれた「私」が、その回路の秘密を巡る「ハードボイルド・ワンダーランド」の2パートが交互に進んでいくんだよ。
もうね、ザ・春樹な世界が、物語が展開していくんだけど、登場人物には名前がない。

スポンサーリンク


・ハードボイルド・ワンダーランド
主人公は暗号を取り扱う「計算士」である「私」。あとは老博士、太った娘、リファレンス係の女の子、大男・ちび、やみくろ。
やみくろってのもすごいなぁって思ったよ。小説内ではひらがなのやみくろだけど、浮かぶ漢字は闇黒だからね。汚水を飲んで腐ったものを食べている。光が当たる世界に暮らしている人間を憎んでいるんだけど、人間はやみくろの存在をほとんどの人が知らない。ってここまで話しただけで、やみくろって何を象徴しているんだろうって考えちゃうんだよね。

「計算士」は半官半民の組織(システム)なんだけど、暗号の作成と解読で敵対する「記号士」が組んでいる工場(ファクトリー)という存在があったり。

主人公は太った娘の案内で、やみくろから逃れながら老博士がいる研究所へ行く。そこで仕事の依頼を受ける。部屋に戻り帰り際に渡された箱を開けると、中には「一角獣の頭骨」が入っていた。主人公は頭骨のことを調べるために図書館に行く。そこでリファレンス係の女の子に出会う。女の子って言っても29歳で離婚歴あり。
翌朝、太った娘から博士がやみくろに襲われたと聞く主人公。
主人公は主人公で大男とちびの二人組に襲われて部屋を荒らされる。
その後、太った娘があらわれて世界が終わると言われるんだ。

主人公に埋め込まれた回路の秘密、一角獣の頭骨の謎を巡るまさに「ハードボイルド・ワンダーランド」な物語。

・世界の終わり

主人公は「僕」で、僕の「影」、門番、大佐、図書館の少女、発電所の管理人、獣、鳥が出てくる。
街にたどり着いた僕は門番に影を剥ぎ取られる。影は僕の記憶を持っているため、僕は記憶の多くを失う。
街にいる人々は心を持っていない。心を持っていないから日々を安らかに過ごしている。街での僕の仕事は、図書館で一角獣の頭骨から夢を読み取る「夢読み」。

僕は影から依頼を受けて街の地図を作りながら、街の秘密に迫っていく。

とまあ、一角獣の頭骨とか、人物は違うんだけれど、図書館で出会う女性とか、2つの世界には最初から共通点がある。
下巻の後半以降の展開がもう読むのやめたくないんだよね。トイレに行くことすら躊躇して、限界まで我慢して読んだよ。

ひとつの作品の中で2つの物語を展開するのは『風の歌を聴け』でもあったけど、はっきりとわかるように書いたのは『1973年のピンボール』。僕と鼠の物語だったからね。
この方法を、村上春樹さんは以降の長編でよくやるんだよ。
『海辺のカフカ』『1Q84』もそうだったし。

いろんな仕掛けを施しているんだけど、それでも村上春樹さんは「解釈は個人の自由」っていうんだから。
こっちは、夕食の献立を夫や子供に聞いても「なんでもいい」って応えられるお母さんの気持ちだよ。ん?ちょっと違うか?いや、合ってんじゃないか?
ま、どっちでもいいか。

意味や解釈や解説や批評は置いといて、純粋に物語としてだけ読んでもおもしろい。
私は2回目まではふつうに物語だけを楽しんでたから。
3回目以降はさすがにあれこれ気にしたけど。
今は検索すれば出てくるから。わかんないことがあったらすぐにわかるようになってるから。
まあ、村上春樹さんの場合、ほんといろんな人が色んなこと言ってるから、どれを取るかはあなたしだいなんだけどね。

いちばんいいのは、自分で考えて自分なりの結果を出してみることなんだけどね。

 

 

Amazonはこちら –

というわけで、今回はここまで。
次回は村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』と、あと何か。

この頃読んだ新書を思い出してるんだけど、なかなか思い出せなくてもやもやしてる。
精神病に関する本とか日本の伝統についての本とか、経済・お金とかについての本とか読んだんだけどなぁ。なんだったかなぁ。読書ノートとか書いてなかったしなぁ。
ま、いいっか。

スポンサーリンク