私の読書の履歴書19 20代前半6

京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』『絡新婦の理』これらを読んだあと、自分の憑き物もとれた感覚があった。
正確にいうと、それまで言葉にできない内に抱えていたものがすっと取れたというか、こういうことかとわかったような気がした。
そこで終わってしまった自分の甘さが残ったことに気づいたのはもっとずっとあとだけど。

小説というのは、言葉で言い表せない何かをこういうものだと提示するものだということを、これまた誰かの何とかという本で読んだ記憶がある。私の甘さはこういうところなんだよ。なんかごめん。
それがどういうことなのか、京極夏彦さんの本を読んでわかった。

かつての日本人は、妖怪という装置を使って、それはこういうことだと絵と名前に当てた漢字と言葉、そしてその妖怪にまつわる物語で表した。
そう考えると、神話だってそういうことになる。

神話を編んだ古の人々は、世界の創造、生物の発生、自然現象、人間関係、日常、人生、全てに共通するサイクル、感情と多くの定義できない、短い言葉で言い表せないことを神話の形で残し、伝えた。

神話も妖怪も、幽霊話も、現在では形を変えて、細分化されて、文学や文藝、エンタメ、ライトノベル、マンガ、映画、ドラマなどとして、多くの人が創作し、それよりも多くの人が読み、観て、楽しんだり学んだりしている。

ジョーゼフ・キャンベルは『神話の力』で「現代は神話がなくなった、崩壊した時代だ」というようなことを言ってる。そしてこういうふうに続けてるんだ。
「私たちには新しい神話が必要だ。まだ出てこないだろうけど」って感じで。

でも思うんだよね。
今の神話を作ろうとするからできないのであって、かつての神話を読むことで、忘れていたものを思い出したり、気づいたりすることはできるんじゃないかなって。
だって、自然科学・人文科学は進歩も進化もしてるけど、肝心の人間そのものは今のところ神話の時代から変わっていないんだから。

あぁ、そうそう、都市伝説的にいうと、自分専用のタトゥーを皮膚に焼き付けたり、マイクロチップを手の親指と人差指の骨の間や首やおでこの中央に埋め込んだりすれば、自力じゃなく科学の力で人間はアップデート(進化)するかもね。
その後の未来?
士郎正宗さんの『攻殻機動隊』や伊藤計劃さんの『ハーモニー』とか、『1984』『時計じかけのオレンジ』『動物農場』『すばらしき新世界』『2084』のいずれかのような世界になるのかな。
そう、今は監視されているだけだけど、やがて監視され同時に管理される世界になるかもね。
そう遠くない未来に。
繰り返すけど、あくまでも、都市伝説的にいうとってことだから。

さて、では今回もそろそろ本題に入ろう。

Contents

●魍魎の匣

百鬼夜行シリーズは、まずあの世界観がたまらない。
かつての雑誌「新青年」に掲載していた作家陣と重なるどこか暗く、グロく、陰惨な影が覆っている。けど、その影を後半の数十ページ、いや、百数十ページかな?で京極堂が晴らしていくんだよ。

この『魍魎の匣』は、綿密に作られている。そして複数の事柄がごちゃごちゃと絡んでいる。さらに箱(匣・筥)が出てくる。その複数の事柄、人物がまあ、魍魎なわけだ。
って、ここまでならネタバレにならないからオッケイ。

もう少しネタバレにならない程度に話そう。
冒頭、列車に乗っている男が向かいの席に座っている男を気にする。
箱を持ち、ときどき箱に話しかけているんだよ。まあ、気になるわな、こういう人が向かいに座ってたら。
男が向かいの席の男の箱の中を除くと、頭と上半身だけの少女がいて「ほぅ」と言った。

楠本頼子は、美少女の柚木加菜子に声をかけられ、ある日、2人で最終電車に乗って湖を見に行こうと約束するんだけど、そこで加菜子がホームから落ちて、列車に轢かれてしまう。
たまたま勤務帰りの刑事の木場修太郎がその列車に乗り合わせていて、頼子と共に加菜子が運ばれた病院へ向かうが、そこへ加菜子の姉の柚木陽子と出会う。
陽子が「加菜子を救える可能性があるところを知っている」と言って、加菜子は謎の研究所に運ばれて集中治療を受ける。

小説家の関口巽は新人小説家の久保竣公と出会う。
雑誌記者の鳥口守彦と稀譚社社員の中禅寺敦子(京極堂の妹)と共に、武蔵野連続バラバラ殺人事件を追って道に迷い、「匣」のような建物を見つける。その建物が加菜子が収容された研究所、美馬坂近代醫學研究所だった。
その後、加菜子は謎の失踪を遂げる。

鳥口は「穢れ封じ御筥様」の調査を行っているが行き詰まり、関口の紹介で京極堂に相談を持ちかける。

バラバラ殺人と加菜子の誘拐、久保竣公、「穢れ封じ御筥様」と、関係なさそうな人物と出来事が収束していく。
もちろん、京極堂の憑物落としによって。

って、これだけ話しても、まったくネタバレにならない。
本なんて、新書も文庫も辞典より厚いし。
でもね、読んじゃうんだよ。止まんないんだよ。京極堂の長い長い薀蓄も、おもしろくて止まんないんだよ。
『姑獲鳥の夏』のときもそうだったけど、この本も徹夜だったよ。

文庫は分冊版も出てるけど、一冊で買って読むほうがいいと思うよ。
分冊版見たとき、ああ、京極さんの本は分けちゃダメだってっていうのが第一印象だったんだ。
一冊で、あの厚さで読む、読み終えることに意味があるような気がするんだよね。

 

 

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●狂骨の夢

この話、登場人物も事件もまったくの別物だけど、時系列は『魍魎の匣』からそのまま続くんだよね。
関口巽は大作家の宇多川崇から、妻のことで相談を受ける。妻の記憶のことだ。
妻、朱美は記憶をなくしている。ときどき思い出すのは、海鳴りと、以前の夫の首を切って殺した記憶。

一方、関口らの古い友人である伊佐間は、逗子の海岸で朱美と名乗る女性と出会う。
伊佐間は、その女性に言われるがまま家に呼ばれ、上がり込み、酒の席でその女性が、過去に同じ名前の人を殺したと聞く。

ある日、逗子にある教会で、神を信じ得ぬ牧師、白丘のもとに宇田川朱美と名乗る女性から懺悔を聞く。
女性は以前、夫の首を切って殺した。その夫が首を繋げて蘇り、朱美のもとにやってくる。そのたびに朱美は夫の首を切って殺しているという。

そんな中、宇田川崇が何者かに殺害される。

っていうわけで、いつもの登場人物たちが解決に向かうんだけど、この『狂骨の夢』なんだけど『魍魎の匣』と比べると、なんていうか二時間サスペンスドラマ感が強いんだよね。
嫌いじゃないよ。
新書版で読んで、後に文庫版になったときに400ページ以上も改稿、追加して出たときも買って読んだし。
ラストも好きだし。

『魍魎の匣』があまりにも構成も登場人物たちも世界観も情報量もすごかったからね。
なんていうんだろ、『魍魎の匣』と『絡新婦の理』の間のちょっとした息抜きっていうか。
息抜きにしちゃあ、あいかわらずの世界観と内容だけど。

そうだね。『姑獲鳥の夏』が3回読み返してて、『魍魎の匣』『絡新婦の理』は4回読み返してて、『狂骨の夢』は新書判と文庫版それぞれを2回読み返してて、あとは1回読んだきりって感じかな。

ミステリだと思って読むんじゃなくて「読物」として読むのが、百鬼夜行シリーズの読み方だと思うんだよね。

 

 

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ってことで、今回はここまで。
村上春樹さん、村上龍さんのときもだったけど、やっぱり今でも好きで、当時から何度か読み返してる作家さんの作品になると、前置きも長いし、本について話しても長くなってしまうな。

京極さんの場合は、本そのものがあの厚さだから、ネタバレにならないように内容紹介しようとしても長くなるんだけどね。
次回はまた違う方の作品を話すよ。