私の読書の履歴書17 20代前半4

村上春樹さんの次に村上龍さんをデビュー作から順番に読んだんだけど、当時の村上龍さんは多作で、村上春樹さん同様、3作目の『コインロッカー・ベイビーズ』以降、追うのを諦めた。
村上春樹さんは逆に寡作なので、順番に追っておいついたけど。

後に「村上龍自選小説集」が刊行されていることを知って、再び村上龍さんにどっぷりつかることになる。
お二人の後の作品を読んで思うのは、どちらもデビューから3作目までは順番に立て続けに読めば、後の作品の理解が(もちろん読者の読解力によるところも大きいし、私だってたかが知れてるけど、それでも)深まる、理解しやすくなる。

これはよく言われていることだけど、その作家を知りたければ、デビュー作を読むことだ。そこは当然、作家のスタート地点であって、その作家がその後に進む道だったり、素材だったり、思いが詰め込まれている。
文学からスタートして大衆、エンタメに転向する人もいるけれど、それは表現法が変わって、進化・進歩・深化もしているけれど、作家として書きたいこと、やりたいことは、デビュー作にあることがほとんどだから。

村上春樹さんは、今でも作品に色々な仕掛けを入れているし、作品には描かない裏の物語が内包されている。これは今でも、テクストとして、作品に込められたものを理解しようとすれば難解だと言われている『風の歌を聴け』から変わっていない。
文体を試したり、物語性を出したりという作品が増えたけど、そこは変わっていない。

村上龍さんは文体は買えずに、言葉を変えたり、表現を変えたりしてきた。
『イビサ』のように内面の動きを詳細に描いた作品もあるが、これも他の多くの作品と共通しているのは、見ているもの見えているものを描写していくことだ。
売れた本は『コインロッカー・ベイビーズ』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』など、物語性が強い作品が多いけど。

以前、何かの本で読んだんだけど、お二方の出現で、誰でも小説を書けると思われてしまったと言ってた人がいた。
読みやすい文章だったり、おしゃれな比喩だったり、謎や仕掛けを入れたり、見たものや見えたもの、思ったことを、グロテスクな表現で、ただただ書けばいいと思われたかららしい。
このことを言った方も誰だか思い出せないんだけど、もしあなたが自分にもこういうのならかけると思っているのなら書いてみたらいい。
無理だ。

これは、お二方に限らない。
エンタメ、ラノベだって同様だ。
素人が気軽に投稿できるサイトがたくさんある。そこに投稿した小説を読めばわかるよね。
何百、何千とある素人が投稿した小説のなかで、その作品が一冊の本になって、その紙の本や電子書籍をお金を出しても買いたいと思う作品って、多くても両手で数えられるくらいしかないんじゃない?

趣味で書いているのなら、投稿サイトに気軽に投稿するだけなら、それでいいと思う。
本気で作家になりたいのなら、それだけではなれない。
でも、才能が突出していなくても、本気で勉強して努力して、新人賞に応募したり、投稿サイトのコンテストに参加したりを繰り返していれば、いつか陽の目が当たる可能性が高くなるのも作家だと思う。

あ、作家に限らないね。
芸人さんでも何年もやり続けて、ふとブレイクする人もいるし。
俳優さんだってそうだ。
スポーツ選手はほとんどの競技は年齢と共に落ちていく肉体的なものがあるから、厳しいものもあるだろうけど。

作家にしろ、芸人にしろ、俳優にしろ、その他の多くの職業も仕事も趣味も、年齢を気にしなきゃいけないのは体力的なことや年齢制限があるものだけで、その他の多くのことは、今あなたが何歳だろうが、どうすればできるか、やれるか、なれるかを調べて、今できることからやれば、できる。って思うんだよね。

って、前置きが長くなりすぎたけど、本題に入る。

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Contents

●海の向こうで戦争が始まる

村上龍さんの2作目。
ある日、海岸で絵を書いていた主人公にフィニーという女性が近づく。フィニーは顔を近づけ、あなたの目に町が映っている、という。
その街は海の向こうにあり、ゴミに埋もれ、基地があり、子どもたちを力強く育てる。

海岸にいる主人公とフィニーのパートと、海の向こうの街のパートに分かれている。
街ではパレードの準備をしていて、その街に住む人々の生活が描かれていく。
やがて街では、タイトル通りのことが起きる。

村上龍さんが自身の目の裏側で見た戦争を書いた作品なんだけど、殺伐とした表現や、グロテスクだったり、凄絶だったりするんだけど、どこか現実味に欠けるというか、画面を通してみている自分と主人公とフィニーの姿が重なる。
街で起きている悲惨な状況を冷静に見ている。

それが私は怖い。
なぜなら、それが現実だから。
あなたもそうじゃない?
どこかの国でテロや戦争が起きたことをニュースやネットで、画像や文章、動画で見ても「大変だな」「日本で起きたらどうしよう」と思うだけじゃないだろうか?
「この国で起きたらどうしよう」と思っても、けっきょくは何もしないで、その画像や動画を見ながら、なにか飲んだり食べたりしているんじゃないだろうか。
かといって、何をすればいいのかわからないのも現実だ。
なぜなら、どうしようもできないだろうから。
逃げることしかできないよね。

私はこの本が『限りなく透明に近いブルー』より好きで、読み返した数も多い。
でも、このあとの『コインロッカー・ベイビーズ』はもっと好きなんだけどね。

 

 

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●コインロッカー・ベイビーズ

この本は、当時実際に起った幼児のコインロッカー置き去り事件がきっかけて書いたものだとか。

コインロッカーで生まれたキクとハシ、そしてアネモネという女性。
島の孤児院で育ったキクとハシ。ハシは本当の母親を探しに東京へ出る。キクはハシを追って東京に出て、そこでアネモネと出会う。
幼かったときに聞いた音を見つけるために歌手になったハシ。
小笠原沖のカラギ島に眠る「ダチュラ」でこの世界を壊そうと探索に出るキク。
お金持ちの家に生まれ、鰐を飼っていて、退屈を感じているアネモネ。

村上龍さんの、地の文と会話文が分かれていない文体は、最初の数十ページは慣れが必要だけど、慣れてくればむしろ読みやすいというか、登場人物の会話も心情もすっと入ってくる感覚になる。

文学でもありSFでもありと、多面的で、展開もいいから、特に上巻の終わりくらいから下巻は「もう今日寝なくていいから、これ読み終わっちゃう!」ってなる。

中に込められたテーマも一つじゃないし、あいかわらず表現はグロいし、けどあいかわらずすげぇ綺麗な表現が出てくるし。
キクとハシ、個人的にはキクのほうが好きなんだけど、ハシも健気だし。
アネモネは魅力的だし。退屈すぎて破壊衝動激高だけど。

改行が多くて、わかりやすくて読みやすい日本語で書かれた小説読むのもいいけど、こういう改行が少なくて読むのが辛そうだけど、読んでいるうちに文体に慣れて、おもしろくて止まんなくなる本も読んでみたほうがいい。
ただただグロいだけ、エロいだけ、殺伐としてるだけってのとは、まったく違うから。

ラストに向かっていく疾走感、熱がすごいんだよ。
あんなに改行がなくて、地の文と心情と会話文が一緒くたになっている文章なのに「キク、どうするつもりなんだよ」「ハシ、お前もっとこうなんていうか頑張れよ」って思いながら読み進めていくうちに、そういうことも考えられなくなるくらい作品世界に入り込んでいるんだよね。

でも未読なら『コインロッカー・ベイビーズ』読むためだと思って、『限りなく透明に近いブルー』『海の向こうで戦争が始まる』読んでからこれ読んでほしいな。
いや、まあこの本から読んでもいいんだけどね。

 

 

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というわけで、今回はここまで。

村上春樹さん、村上龍さんの作品はこのあともガンガン読んだんだけど、次回から数回、いったん離れて、他の作品を話していく。

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