すばらしい新世界 – 著/オルダス・ハクスリー 訳/大森望

Contents

■伊藤計劃『ハーモニー』カート・ヴォネガット・ジュニア『プレイヤー・ピアノ』等
多くの作品に影響を与えた作品

すべてを破壊した九年戦争のあと、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。
そこでは人間は受精卵の段階から5つの階級に選別され、生涯が決められている。
貧困も病気も老化もなくなり、幸福が実現された美しい世界。

親子、結婚=夫婦という概念がなく「みんなはみんなのもの」と、男女はなんのためらいもなく当たり前に、カジュアルに、互いを求め、その日限りの夜を過ごす。
特定の恋人と長く付き合うのは社会通念上、不適切。

テレビ、感覚映画、音楽、スポーツは推奨せれ、文学・芸術・宗教・哲学はこの世界にはない。
なにか不安や恐怖を感じたら、ソーマを飲めばいい。

この世界になじめず、周りから変わり者と言われ、自らも世界と距離を置き、反発を覚えている青年バーナード。
彼は、休暇で訪れた野人保護区で、ジョンという青年と出会う。

と、こっから先はこの本のいいところなので、話せない。
ディストピアとは、ユートピアの反対語なんだけど、そもそもユートピアってなんなのか、説明できる?
理想郷と言ったらそれまでなんだけど、歴史的に見れば、ユートピアは現代の価値観で見るとディストピアに近いんだよね。
社会規範や労働が全体に行き渡り、そこで暮らす人は何らかの労働に就かなければいけない。
また、財産の私有の財産はほとんどなくて、共有している。
みんなが平等ということは、貧富の差はないけれど、そこには我慢も必要になる。
そして、自由も制限されている。

ね?ユートピアどころか、ディストピアでしょ?

たぶん、ユートピアって聞くと、働かなくていいし、好きなことだけして生きているってことを考えるかもしれない。
でも私は思うんだけど、それってユートピアかな?ただただ怠惰なだけなんじゃないかな?

この『すばらしい新世界』では、受精した時点で5つにランク分けされて、それぞれのランクの人は自分以外のランクのような人生は生きたくないように思わされる。上位から見ればあんな人生嫌だと思うような仕事や生き方をしていても、下位の人は下位の人で、上位のような人の人生には憧れない。

野人保護区のジョン以外の登場人物のほとんどは、しっかりと「教育」を受けているんだ。

ただ、私の一番の驚きは、この本が刊行されたのが1932年だってことなんだけどね。
たしかに現代から考える未来としては古いものもある。でも、そこらは愛嬌として、世界のトップに立つ人間の考えや、この物語内の世界観、その世界に生きる登場人物の生き方は、今読んでもふつうにおもしろい。

ラストはまあ、こういうラストになるのもしょうがないと思ったけれど、他のもあるんじゃないかなって思ってたら、そのへんのことは訳者あとがきに書いているので、読後に読んでほしい。

じゃあ、この後はネタバレを含むから、未読の方は読まないように。

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■都市伝説の起源でもあるのではないか?

この物語の特徴的なところは、全体を通して視点が定まっていないことなんだよね。
章ごとに登場人物の誰かの視点に切り替わる(もちろん同じ人物の視点で続く章もあるけど)。

これは、わざとこういう書き方をして、物語内の世界観を、読者に多角的に見せようとしているんじゃないかなって思った。
ランクが違う人の視点、男女の視点、野人保護区のジョンの視点。
視点を変えることで、ジョン=現代の私たちに近い(あくまでも近いんであって同じではない)視点から見た、物語世界の違和感や異様さを際立たせようとしたんじゃないかな。

家族制度、結婚制度はない。
妊娠する女性の率が極端に少なく「みんなはみんなのもの」だから、私たちがデートするよりも軽い気持ちで体を合わせる(もっとストレートな言葉を使いたいんだけど、いろいろと事情があって、こういう言い方しかできないんだよ)。

受精後に成長していく途中から成長していく過程で、睡眠学習でランクに応じた、世界の規範を刷り込まれる。
それ以前に、人として生まれる前に、あれこれと処置されて、身長を低くされたり、肉体的に整わないようにされたりもする。

世界に対して疑問を抱かないように、哲学も宗教も文学も芸術も消去され、ただただテレビや感覚映画、音楽、スポーツ、ファッションなどを楽しむ。
老いはなく、60歳までずっと若々しく生き、60歳になったらすっと亡くなる。
死は悲しむことでも惜しいことでもなく、そういうものだと刷り込まれているから、その時が来ても誰もお見舞いになんて行かずに、似たような日々を生きる。

さて、ここで私たちが実際に生きているこの世界を見てみよう。

哲学は難しいもの、宗教は胡散臭い、文学も芸術も難しい。
スマホが重要なツールで、SNSや動画やゲームで一日の多くの時間が過ぎていく。
古いものは古くさいからとっつきにくいし、新しいもののほうが価値がある。
今はこういう時代だから。みんなこうしてるから。
VR、スマートウォッチ、スマホと連動したもの。
便利で簡単にものごとをすませることができるものや方法は、時間短縮のためにもいい。で、その短縮した時間は何に使っているんだろう?

客観視できるなら客観視してみよう。
この世界を創っているのは誰だろう。
果たして、今のこの世界は、この日本は「今はこういう時代だから。みんなこうしてるから」で済ませてしまっていいのだろうか。

考えなくてもいいように、世界に疑問を抱かないように、権力を持った人の言うことを聞くように、メディアによって流されるニュースに嘘やごまかしがないと思うように。

そして改めて『すばらしい新世界』に戻り、ラスト近くで世界統制官が語ることを、現代に当てはめてみよう。

さて、ここからは少し脱線して、あくまでも都市伝説のお話。。
世界のトップに立つ人々は、新世界秩序(New World Order=NWO)を実現しようとしている。
世界を一つにまとめ、世界人口を五億人に減らし、すべての人類を管理下におこうとしている。
そこでは人々は病気からも老いからも差別からも解き放たれている。
管理するために人々はマイクロチップを体内に埋め込まれる。しかもそれは強制という形ではなく、そのほうが生活が便利になるから、そのほうがいろいろと楽だから、防犯上も安全だからと、自ら体内に入れるように仕向けられる。
マイクロチップには多くの個人情報が入っている。氏名・年齢・生年月日・個人番号・保険番号・免許証の番号などなど。また、個人番号からその人の預金や勤め先までわかるようになっている。

人々は考えることが面倒になり、思うことや感じることを考えていると錯覚するようになる。
ネットやテレビの情報に信頼を置くようになり、影響されやすくなる。
自分の都合、自分の感情が最優先で、他社への親切や思いやりに抵抗を覚えたり、それすらも思わない考えないようになる。

う~ん、都市伝説だよなぁって思えば都市伝説なんだけどさ、都市伝説って現実とつなげているから、どこまでが現実でどこからが都市伝説か曖昧なことが多いんだよね。

とにかく、都市伝説ってこうしてみれば、時代が違うから、当時は思いつかない技術はもちろんあるんだけど、こういう『すばらしい新世界』や『1984年』、『時計じかけのオレンジ』『動物農場』等の作品にSFで取り扱われたものがミックスされてできあがっているんじゃないかな。

『1984年』などの、重苦しく息苦しいディストピア小説ではなく、どちらかといえば軽く、その世界で暮らすことをふつうに思っている登場人物たちが出てくる。
でもね、やっぱり読み終わってから、ほとんどの登場人物は管理されているんだよなぁって思い返すと、現在に通じる管理社会って言葉がじわじわと存在感を増すんだよね。

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