一九八四年 – 著/ジョージ・オーウェル 訳/高橋和久

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■予言の書?それとも世界は以前からこうだった?
ディストピア小説の金字塔

ディストピアとは、ユートピアの反対語。
理想郷ではなく、夢も希望もない、または夢も希望も持てない世界。
人々は常時監視されていたり、管理されている。もしくは監視され管理されている世界。

ディストピア小説といえば、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』や『動物農場』、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』やアンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』などが有名だけれど、今回はジョージ・オーウェル『一九八四年』の感想を話そう。

1950年代の核戦争によって、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つに分割統治されていた。戦争は集結していなくて、国の境界線をめぐり、3国は時に同盟を組み、時に裏切りながら、戦争を続けていた。
物語は〈ビック・ブラザー〉がトップに立っている党が支配するオセアニアのロンドンが舞台。
テレスクリーンという、24時間、音楽やニュースを流し続けている鏡のような装置が各家庭に設置され、盗聴器も室内外問わず、あちこちに隠されて設置されている。

真理省に務めるウィンストン・スミスは、歴史改ざんの仕事をしていた。しかし彼は、世界に対して疑問と反抗心を抱いていた。
党員としての規律や道徳に反する、紙にペンで日記を書きはじめる。また、ジュリアという女性から告白され、禁止されている、快楽を伴う行為を繰り返す。

党の管理・監視の外にある地域にある古道具屋の一室を借り、スミスとジュリアは頻繁に会うようになる。
しかし、ある日、テレスクリーンから直接語りかけてくる声が聞こえた。

スミスとジュリアは別々に愛情省に拘束される。
そこでは執拗な拷問が待っていた。

この物語が書かれたのは1948年。
ジョージ・オーウェルは、当時の世界の情勢から、全体主義、管理社会への警鐘を示している。
テレスクリーンを現在のスマートフォンに置き換えたり、あちこちに設置されている盗聴器を防犯カメラに置き換えたりと、現在に置き換えると、先進諸国で起きていることに当てはまるものが多い。
予言書というよりは、当時から世界にはこのような傾向が会ったと考えたほうが自然だと思うんだよね。

ただ、現代は当時と比べて、インターネットの普及、スマートフォンの普及もあって、何をされているかが見えやすくなっている。
だからこそ、今こそ読むべき本だとも思うんだよ。

■残念なお知らせ

訳者あとがきには、こう書いてある。

英国での「読んだふり本」第一位がオーウェルの『一九八四年』だというのである。
『一九八四年』p.510より引用

日本では村上春樹さんの『1Q84』が発売された後、この『一九八四年』が注目され、かなりの部数が売れた。
私が持っているのは奥付を見ると「二〇一八年四月十五日 三十七刷」になっていて、本にかかっている帯には25万分突破と書いている。
さて、25万部のうち、どれだけの人が最後まで読んだのだろう?
というのも、この本は挫折ポイントがいくつかあるんだよ。

1 段落が少なく文字量が多い。
2 情報量が多い。
3 中盤にさらに段落が少なく情報量が多い箇所がある(読んだ人ならわかるけど、明朝体からゴシッ
ク体になっているあの部分)。
4 附録

1と2。
翻訳本は小説に限らず、どのジャンルにも言えるけど、段落が少なくて、文字量が多い本が多い。だから、いつものペースで読んでいても、なかなかページが進まない。それで挫折する人もいるだろう。
しかも、この世界と地続きでありながら、違う世界=パラレルワールドを描いている物語なので、そこがどんな世界なのかを、ウィンストン・スミスの日常を描くことで見せている。
つまり、小説内世界の情報量が多いんだ。
そこで頭がパンクしそうになって挫折する人もいるかも知れない。

3 中盤に、これでもかという箇所がある。私はここで挫折しそうになった。でもここは、この物語世界の理解だけではなく、今のこの現実の世界を見直すきっかけにもなる。忍耐と根気で乗り切ってほしい。

4 附録も単調だ。しかし、この附録は重要なんだ。それについては、あのトマス・ピンチョンが書いている、ネタバレを含む本書の解説を読めばわかる。私はこのトマス・ピンチョンの解説を読みながら、ふと思ったことがある。それについても、この後、この『一九八四年』の本のリンク紹介の後に話そう。なにせこれも、ネタバレを含むからね。

と、まあ、この本を読み終えるには、そこそこの忍耐力が必要だ。
最近の日本の、読みやすい文章で書かれ、段落が多い物語に慣れている人には、なかなか辛いかもしれない。
でもね、でもなんだけど、ドストエフスキーやトルストイはじめ、海外の古典だって、これと似たようなものだ。
文字は小さめで段落は少なく、見開きすべて使っていても、段落が続いていることがある。
日本の近代文学だってそうだ。
ホラーで有名なH・P・ラヴクラフトの物語だって、ページ数は短編なのに文字量だけでいったら中編になるものがたくさんある。
忍耐力、根気で読んだ先には得られるものがあるんだよ。
それは本によって違うけどね。

■『一九八四年』と現代の日本・世界

今の日本は、今の世界は、どこへ向かっているのか。
二度の大戦前後の頃へ、手を変え品を変え戻ろうとしているのではないか。
あの頃よりも進化した科学を引き連れて。

『一九八四年』を読んで、現代の世界を、日本を見ると、そう思えてくる。
政府による事実の隠蔽、改竄、秘密。
それに慣れてしまう国民。
管理社会。
監視社会。

これはあくまでも都市伝説だけれど、スマートフォンはたとえ電源を切っていても、カメラで様子を見ているし、マイクで音を聴いているらしい。
そう、この本に出てくるテレスクリーンは、小型になって、今や私たちの手のひらの上やポケット中にある。

この本では、政府がマスメディアを使って、そうとは気づかないうちに、大衆操作されている。
では、現実のこの世界は?日本は?
日本のマスコミは、はたして本当のことを話しているのだろうか?
本当のことを編集して継ぎ接ぎしているかもしれない。メディアに乗せれない情報があるかもしれない。報道できないことがあるかもしれない。
わかりやすい例だと、メディアと言えども、スポンサーが付いている。スポンサーにとって不利益なるような情報は放送できないよね。

戦時中は、テレビ・ラジオ・音楽・雑誌・本・漫画など、あらゆるものを使って、国民を操作していたことは知っているだろう。
で、今は?

じゃあ、これらは何のために?っていう疑問が浮かぶだろう。
答えは書かない。
キーワードは全体主義、グローバル化、グローバル・エリートだ。

というわけで、この物語の附録について話したいんだけど、これはネタバレになる。
まだ読んだことがないのなら、下に楽天ブックスとAmazonへのリンクを貼っておくから、そこから購入してほしい。
附録についての私の話を聞いてくれるのなら、リンクしたまで進んでほしい。

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■「附録」に込められているもの

さて、ここからは巻末の「附録」について、トマス・ピンチョンが解説で書いていたことについて。

附録は、ウィンストン・スミスやジュリアやオブライエンが生きていた時代よりも数十年後に、匿名の人物が、ニュースピークではなく、現代使われている英語で書いたことになっている。
これについてトマス・ピンチョンは『一九八四年』の時代は長くは続かず終りを迎えたということであり、これはジョージ・オーウェルが回復と救済をほのめかしたのではないだろうかというようなことを書いている。

私はこの文章を読んで、自分の読みの浅さを恥ずかしく思ったのと同時に、あることを思ったんだ。
物語が始まってすぐ、ページ数でいうと11ページに、この附録へつながる原註があるんだよ。
これは、ジョージ・オーウェルが、この物語には救済措置があることを最初から提示していたってことなんじゃないかな。
こんな時代は、こんな世界は、終りを迎え、人が人として生きるときが戻ってくるんだ。だから、小説内のこの時代のこの世界は殺伐としていて夢も希望もないけれど、安心して読んでほしいって。

そういう時代が訪れたとしても、そんな世界はそうそう長くは続かない。
って言ってるんじゃないかな。

希望的観測にすぎないかもしれないけどね。

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