クリスマス・キャロル – ディケンズ

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■クリスマス・イブに訪れる幽霊

世の中も人間も信じていないケチなじいさん、スクルージ。
彼のもとへ死後七年過ぎた、かつての同僚マーレイが亡霊となって訪れる。
マーレイはスクルージに三日にわたって、それぞれ違う幽霊がスクルージを訪れると言い残し、消えていく。

幽霊はスクルージを連れ、貧しくても明るく生きる人、家族など、さまざまな人々のクリスマスイブとクリスマスを過ごす様子を見せつける。

それを見たスクルージは、過去の自分を思い出し、今の自分が周りからどう見られているかを知り、このままの自分ではどういう末路をたどるかを知る。

『大いなる遺産』『デイヴィッド・コパフィールド』『オリバー・ツイスト』『二都物語』などを遺したチャールズ・ディケンズの中編小説。

私がこの本を初めて読んだのは中学生の時。
30年以上過ぎ、読み返した。

子供の頃に読んだらいい話だなぁって思ったけど、小学校高学年なら読めるかな。
で、大人になったら読み返したい本でもあるんだよ。

そのへんも含めて、目次のあとにもう少し話そう。

■目次

第一章 マーレイの亡霊
第二章 第一の幽霊
第三章 第二の幽霊
第四章 第三の幽霊
第五章 事の終り
解説 村岡花子
改訂にあたって 村岡美枝

■物語に込めれられているディケンズの思い

教訓や道徳、倫理をストレートな言葉で言うのは簡単だけど、そういう言葉に反発する気持ちを持つのは、なにも子供だけじゃない。大人だって、そういう大人は大勢いる。

でも、物語というオブラートでくるんで、直接的な言葉がその物語に書かれてなくて、主人公や登場人物の心情やストーリーで読んだり観たりすると、頭や心にすっと入ってくることがある。

私は小学生の時に、小学生用のひらがなが多く、言葉もわかりやすくした、芥川龍之介の『杜子春』や『蜘蛛の糸』を読んだとき「こんな大人にはならない」って、心に強く決心した記憶がある。
中学生の時に本書『クリスマス・キャロル』を読んだときも、同じ思いを抱いた。

スクルージのもとへ訪れる幽霊たちは、それぞれの役目を持って訪れている。
第三の幽霊を読むと、オチはみえみえだし、事の終りがどうなるのかも想像がつく。
なのに、最後まで物語を読み終えたい気持ちは続く。
ディケンズが書きたかったことは、ヒューマニズムなことだ。それをこの『クリスマス・キャロル』という物語のかたちにして、読み手の私たちに届けている。

ここで「いや、私はキリスト教徒じゃないから、クリスマスの祝い方や、クリスマスへの思いはわからない」って言っちゃっうのはやめた方がいい。
なぜなら、それは大晦日だったり新年だったり、誕生日だったりにも共通することだから。

あれこれ話すとネタバレに繋がるから、おさえて話すけど、誰かやなにかを祝うときは、お金が大事なんじゃなくて、祝う気持ちが大事で、それは一人だろうが二人だろうが、大勢だろうが変わらないってこと。
たとえ一人でも、祝う気持ちを持って、一人で楽しむ気持ちがあればいい。
一緒に祝う人がいるのなら、そういう人がいることへの感謝も同時に持てばいい。

自分を変えるのは自分であって、自分以外の誰でもないし、何かでもない。
いまさらとか、恥ずかしいとかっていうのは、自分で自分に自己弁護しているだけだ。
周りからどう思われるかってことと、それに対してどうすればよいかってことも、ディケンズはとても上手く、数行で解決させている。

まあ、内容が内容だから12月に読むのがいいのだろうけど、ディケンズが何を書きたかったのか、伝えたかったのかは、最後まで読めば知ることができる。クリスマス限定のことじゃないから、どの季節に読んだってかまわない。

大人にこそ読んでほしい、読み返してほしい本なんだよ。
薄いからすぐ読めるし、どう?

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